信州須坂・蔵のまちと共に歩んだ綿幸の歴史
信州・須坂 蔵のまちの歴史
当店奥座敷
江戸時代、堀家一万二千石の館町(陣屋町)として栄えた須坂は、明治から昭和初期にかけて、近代シルクロードの起点の町として繁栄をきわめました。須坂の絹糸は、その多くが横浜港からアメリカ・ヨーロッパなどに輸出され、欧米の女性たちを魅了しました。
須坂市街には、当時の繁栄ぶりを現在に伝える白壁の土蔵造りの建物が数多く残されていたことから、昭和61年、市民有志により「信州須坂町並みの会」が結成され、町めぐりや、「信州須坂町並み景観賞」を創設するなど、町並みの保存・修景に関するさまざまな活動が始められました。
“町並み景観賞”受賞の盾
こうした市民の熱意が、やがて行政を動かすことになり、平成5年には須坂市として「須坂地区歴史的景観保存対策事業」に着手。蔵のまち須坂にふさわしい修景活動を対象に補助事業を開始しました。これにより、傷みの激しかった蔵の建物が見違えるように改修されたり、蔵造りの店舗や住まいが新たに建てられるなど、須坂ならではの景観形成に大きな成果を上げています。当店舗および綿幸サロンは、この地区における保存修景の先駆けとなり、昭和61年「第1回信州須坂町並み景観賞」を受賞しています。「町は人を育み、人は町を育む」この気持ちを大切に町づくりをしています。
誠実な商いをモットーに
綿幸は、二連の店蔵が連なり、上店の奥は座売りの間、その正面奥に衣裳展示場、江戸期の土蔵“染織館”があります。下店の暖簾をくぐると明治初期の建造、蔵のギャラリー“綿幸サロン”があり、石畳の路地の奥は三階繭蔵造りの母屋に続き、奥行きの深い城下町の商家の形体です。代々須坂の中心地・中町の現在地で常に変わる事なく“誠実な商い”をモットーにお客様から厚い信頼をいただいております。
あでやかな創作着物 〜須坂の四季折々を創作着物に!〜
須坂は臥竜公園、米子大瀑布、れんげつつじの五味池破風高原など景勝地に囲まれ、夏には250年続く祇園祭が行なわれるなど、須高地方にはすばらしい自然と文化
があります。
そんな四季をきものや帯に創作し、大切な環境を後世に伝えようと考えています。
蔵のギャラリー・綿幸サロン
静かな安らぎのひととき、白壁と木のぬくもりを感じさせる落ち着いた蔵の中に絵が飾られ、時にはモーツァルトのしらべを聴きながら過ごす…。そんな空間の中で、地方文化の向上を願って、絵画・染織・工芸展などを企画しています。
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数々の来訪者のみなさま
永六輔さん、NHKの永井多恵子さん、室町澄子さん、マルセ太郎さん、ピーコさん、高田純次さんやデザイナーのコシノジュンコさん、大学教授、建築家、染織家など、多数の方が当店へ来店されています。